17th Meeting / 第17回研究会

 

総括1. 他者論・多元主義を中心とした現代思想の問題に関わる考察

杉村 靖彦 (宗教学助教授)


本発表では、当研究班でこれまで行われた発表のうち、他者論・多元主義を中心とした現代思想の問題に関わるものをとり上げて総括を試みた。それを通して、今後班全体でとり組むべきより密度の濃い議論に向けて、叩き台となるべき論点を提供するように努めたつもりである。とり上げた発表は以下の8つである。

  1. 「証言から歴史へ――対話の臨界に立って」(杉村靖彦、2003年2月)
  2. 「対話の中の〈わたし〉」(佐藤啓介、2003年10月)
  3. 「沈黙における対話の可能性」(今村純子、2004年1月)
  4. 「新たな公共性概念の構築に向けて」(今出敏彦、2004年3月)
  5. 「生の自己証言から/への応答――ヨナスの〈責任原理〉は〈対話原理〉となりうるか」(杉村靖彦、2004年5月)
  6. 「コミュニケーションにおける相互人格的承認」(宮原勇、2004年7月)
  7. 「赦し、ほとんど狂気のように――デリダの宗教哲学への一寄与」(川口茂雄、2004年9月)
  8. 「対話などしたくもない人――復讐と赦しから対話を考える」(佐藤啓介、2004年11月)

以上の諸発表は、とり上げる主題とそれへのアプローチにおいてきわめて多様であるが、対話という問題に関わる際の根本態度という面から見れば、注目すべき共通性をもっているように思われる。第一に、どの発表も、従来の意味での対話を不可能にしかねない「法外な」状況、絶対的不均衡とも呼ぶべき状況を視野に入れながら考察を行っている。そのような状況を体現するものとして、「他者」が差し迫った問題になってくるのである。だが、絶対的不均衡の内に立つというのは、他者を絶対視してそこから出発することもまた許されないということである。それゆえ、これらの発表では、多くの場合、従来「私」として捉えられてきた自己定立的自己が解体され、そこで剥ぎ出しになる「私なき私の根底」に触れさせられるという事態が浮き彫りにされることになる。非対称における「対」関係は、もっぱら「私を揺るがす残響」という様相を呈するのである。

この種の考察が、本研究班のテーマである「新たな対話的探求の原理の構築」に対して批判的機能をもつものとなることは容易に想像できる。だが、このような道をとることが、構築の断念をしか意味しないとは私は考えない。むしろそこからは、「構築」された対話的探求の論理にとってはつねに裏側にとどまりつつ、そのことによって当の論理の実質を成しているような何かを引き出しうるのではなかろうか。ただし、そのためには、少なくとも次の二点についてさらに考察を進めることが必要であると思われる。

  1. そもそもなぜ、絶対的不均衡とも呼ぶべき法外な状況を、単なる例外として遇するのではなく、対話をめぐる原理的考察の出発点に置かねばならないのか。おそらくこの問いは、対話が不可能になるところでかえって対話への要求がもっとも切実になる地点を印づけるという意味をもつであろう。そのためには、デリダがグローバルラテン化と表現するような「現代」の特異性と、悪や苦に関する極限的考察とを結びつけて考察するような思索が必要になるはずである。
  2. そのような状況から「対話」なるものを捉え直すことができるとすれば、それはどのような様相を呈することになるであろうか。その場合に明らかなのは、「他者理解を通しての自己理解」といったモデルの手前で、自己と他者の「対」が成立する現場を見てとらねばならないということである。おそらくそれは、他者論が即「私なき私」の自己論であるような境域となるであろう。そこでは、この対関係の媒質となる言語についての理解も、根底から問い直さねばならなくなるはずである。

京都大学文学研究科21世紀COEプログラム 「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」
「新たな対話的探求の論理の構築」研究会 / 連絡先: dialog-hmn@bun.kyoto-u.ac.jp