トップ 各参加者の研究テーマ 研究会報告 NEWS LETTER

グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成

NEWS LETTER

(文学と言語を通してみたグローバル化の歴史)


No.9

2005年11月15日発行

バックナンバーはこちらです NO.8 NO.7 NO.6 NO.5 NO.4 NO.3 NO.2 NO.1

(主な内容)
第10回研究会の発表要旨

<第10回研究会の発表要旨>

山下修一:ヘカタイオスとヘロドトスの世界観について

ヘカタイオスとヘロドトス・・・同時代の賞賛を浴び、後世に多大な影響を与えながらも、現在では知られることのないヘカタイオス、「歴史の父」と称揚され、現在においても古代ギリシアを代表する歴史家であるヘロドトス・・・両者に見られる「世界観」を比較することにより、歴史叙述の特徴について一考察を加えたい。

ヘロドトスは世界の諸現象に、支配する大いなる摂理を見出し、因果関係で世界を把握する。それは地理に関しては、「環境決定論」という形であらわれる。地中海の中央を軸とする南北の対称性を見出す。有名なデマラトスとクセルクセスの対話(『歴史』第7巻102章)では、アジアの隷従と専制君主制・ヨーロッパの自由と民主制という構図は、土地の「貧しさ」という環境に原因が求められるている。『歴史』の最後を飾る、キュロスの語る「柔らかい土地からは柔らかい人間が出る」という言葉にも、それが明確に表されている。

ヘカタイオスは前6世紀後半から前5世紀前半に、小アジアのイオニア地方にあるミレトス市で活躍した、古代ギリシアの散文作家である。ホメロスやヘシオドスら叙事詩人の神話体系を批判した『系譜』と、探求旅行から得た正確な情報に基き、地理学の嚆矢となった『周遊記』という二冊の著作を記した。しかし、それらは散逸し断片の形でしか残っていない。また、アナクシマンドロスが始めて製作した地図を「驚くべきほどに」改良したものが、「ヘカタイオスの地図」として残っている。

一般に、アジア対ヨーロッパという構図の起源は、ヘカタイオスに求められる。しかし、残存する断片を読む限り、世界全体を大きく捉えなおすような世界観は見出すことはできない。正確な情報を列挙し、神話から超自然的要素を排除し、合理的な説明を加えることに終始している。例えば、神話に現れる遠方の土地を可能な限り近い土地に同定する(F.26,F.239,F.217)。神話の怪物ケルベロスを現実に存在しそうな毒蛇であると訂正する(F.27)。アイギュプトスの息子の人数を50人から20人以下に減らす(F.19)。

両者の相異は、歴史叙述における物語的要素にあると思われる。ヘロドトスは、神話を超えた「摂理」を見出し、世界の諸現象を因果関係によって物語る。対して、ヘカタイオスは正確な情報を羅列する。それは伝統的なギリシアの神話体系が、信じ難く不正確なものとなりながらも、確固たるものとして存在していたからであろう。神話を根底から疑う必要はなく、合理的に説明するだけで十分であると考えていたのである。こういった両者の相違が、何に起因するのかは今後の課題としたい。


松村朋彦:インクルとヤリコの子供たち ― 近代ドイツ文学のなかのカリブ海 ―

インクルとヤリコの物語は、ヨーロッパ人男性とアメリカ先住民女性とのあいだの恋物語としてよく知られている。イギリス人青年インクルは、カリブ海の岸辺で先住民の娘ヤリコに生命を救われる。二人のあいだに恋が芽生えるが、首尾よくイギリス船に乗り込んでバルバドス島に着くや、インクルは心変わりしてヤリコを奴隷として売り払ってしまう。イギリスの文人リチャード・スティールによってヨーロッパ中に広まったこのモティーフは、ドイツ語圏ではゲラート、ボードマー、ゲスナーといった18世紀の作家たちによって変奏される。そこではこの物語は、ヨーロッパ文明の自己批判であると同時に、他者としての新世界を自己のうちに取り込もうとする試みでもあった。

19世紀に入るとこのモティーフは、インクルとヤリコの子供たち、二つの世界のあいだに引き裂かれた混血児たちの物語へと変形される。クライストの『サント・ドミンゴの婚礼』(1811)は、インクルとヤリコの娘の視点から親の世代の物語を書きかえようとする試みとして読むことができる。そしてそれは、二つの世界を越境しようとする混血女性トーニと、越境することのできない白人男性グスタフとのあいだのすれ違いの悲劇となるのである。アイヒェンドルフは『航海』(執筆1835頃)のなかで、同じく二つの世代の白人男性と先住民女性との物語を対比しながら、最後にハッピーエンディングをもたらそうと試みる。この作品の結末ではアルマと結ばれてヨーロッパへ帰還するアントーニオを、隠者として島にとどまる伯父ディエゴが見送ることになる。シュトルムの『海の彼方より』(1867)では、物語の舞台はカリブ海からドイツへと移される。そこでは、母の国と父の国とのあいだに引き裂かれた混血女性イェニーが、最終的に父権的秩序のなかへと取り込まれてゆく過程が描かれる。こうして、インクルとヤリコの子供たちの物語は、ヨーロッパが非ヨーロッパ世界へとむけてその勢力を拡大してゆく歴史過程を映し出すとともに、そうした歴史にたいする文学の側からの自己反省をもなしているのである。


<活動状況>

 ◎第10回研究会 2005年7月15日(金)2時半〜5時 東館4階会議室
出席者:大當さとみ、小林寛、高橋宏幸、中務哲郎、西井奨、広川直幸、藤井琢磨、舩曳真司、堀川宏、マルティン・チエシュコ、味方薫、山下修一。加賀ラビ、川島隆、喜多一月、佐々木茂人、武田良材、寺井紘子、西村雅樹、樋口梨々子、松村朋彦。伊藤玄吾、増田真。

下記の研究発表に続いて質疑応答と討論を行った。
・山下修一:ヘカタイオスとヘロドトスの世界観について
・松村朋彦:インクルとヤリコの子供たち ―近代ドイツ文学のなかのカリブ海―

 ◎第11回研究会 2005年12月7日(水)3時〜5時半 東館4階会議室
・渋江陽子:ガブリエレ・ダヌンツィオと参戦運動 ―文学と政治の交叉―
・E. M. Craik:英国における人文学研究の問題点(仮題、英語)